代表中澤の日々の徒然

POST: 2013.07.03

饗場君の宝もの

設計の饗場が、私のもとに自身の宝物を持参してくれた。
彼が野球少年だった小学校の頃の良き思い出、それは私にとっても、本当に懐かしく得難いものだった。
1984年、第66回全国高等学校野球選手権大会に私の母校、篠ノ井高校が夏の甲子園出場を決めた。
当時私は一年生。甲子園とは縁が無さそうな篠高だったが、決勝で丸子実業に辛勝し甲子園を決めた。
私は幸運なことに甲子園で自校の応援をするという、高校生あこがれの風景を体験することができた。今でも高校生時代の最高の思い出として、脳裏にその時の情景が焼き付いている。
私にとって青春そのものだった。
その頃、饗場君は篠ノ井の通明小学校に通う5年生。
唐臼(カラウス)オリオンズという地元少年野球チームに所属する「野球少年」だった。野球キチだった饗場少年も篠高の甲子園出場にチョー興奮し熱くなったらしい。
その小5の野球少年饗場君が、地元のヒーロー、甲子園に行ったスターに一目会おうと、サインペン片手に篠高の文化祭を訪れた。甲子園のスタンドでつかったオレンジのメガホン(紙製)を利用し、その裏にレギュラー9人全員のサインをもらうの目的だったらしい。
いかにも当時の野球少年らしい行動、その純粋さにこの話を聴いて少々感動した。
そして文化祭中、学校内を歩きまわり見事にレギュラー全員からサインをもらうことができた!
そのサインがこちら。
見てみると、確かに当時スーパースターだった先輩方のお名前が刻まれている!
大切に額に入れて部屋に飾っていたらしい。これは本当にすごいものを見せて頂いた。
(さすが5年生、篠の字が少々間違っているのもまたいい!)
当時私は在校生の一年生。そのはじめて経験する文化祭中、サインペンを片手に必死になって甲子園球児を探す饗場君と、もしかしたら廊下ですれ違っていたかもしれない。
饗場曰く、この正真正銘の直筆サイン、「篠高で飾って頂ければ幸い」と本人は希望している。
大きくなったらプロ野球の選手になる!
自分を信じ、そして白球を追いかけ、純粋に野球を愛したひとりの野球少年をご紹介させて頂きました。
追伸
こんな美しい話のあとで恐縮ですが・・・
この数年後、野球少年だったA君は・・・
何故かサッカー少年に転じ、高校サッカーの聖地「国立競技場」をめざし
日夜サッカーに明け暮れたとのこと・・・(爆笑)