代表中澤の日々の徒然

POST: 2009.04.29

「昭和の日」に思う

昭和の日の今日、私が住む長野市三本柳地区で、公園の一斉清掃と、自宅前の側溝清掃(昔で言う通称:「どぶさらい」)が行われた。
200904290715000.jpgこの地に新居を構え、最近ようやくご近所の方ともだんだん慣れ親しめるようになって来た。昨年、隣組の班長を仰せ付かった関係で、子供の頃以来、地区でのいろんな行事に参加させてもらった。

私は篠ノ井の布施高田というところで生まれ育ちました。子供の頃は近所に子供たちの遊ぶ声が響きわたり、ご近所の敷地の境も関係なく、いたる場所で遊ばせてもらっていた。地区の運動会や盆踊り、公民館などで開催される新年会やクリスマス会など、兄弟でよく参加させてもらっていた。中学生後半ぐらいから、恥ずかしさが加わり、少々マサてきたせいか、こういった地区の行事で無理やり参加させられる(感じ)のが嫌に感じはじめた。年頃という若さのせいだったのでしょうか・・・。運動会なんかも、毎年隣組の班長さんがやってきて、「この種目に出てくれないかねー」といいながら、各家々を回覧する姿を見て「みんなが嫌がっているくらいなら、そろそろ運動会なんてやめればいいのに・・・」ぐらいもことも、思っていた時期があった。

あれから、私も東京での生活を終え、田舎に戻り、結婚して、家をつくり、また「隣組」の一員に戻って来た。そして昨年久しぶりにコミュニティに加わり、運動会や地区の行事に参加させてもらったが、その感想は「意外と苦痛ではなかった」ではなく、「あれ・・・楽しいじゃん!」にトラウマが変わった。参加してみると、意外に楽しいもの・・・なのだ。

40歳を過ぎ、ご近所のみなさんとふれあうことの楽しさが、恥ずかしながらようやく判った。今年は家族全員で運動会に行き、全種目に参加して、副賞のサランラップやティッシュをいっぱいGETして、ご近所の方々と楽しんじゃおう!(副賞は冗談ですが・・・)とさえ考えいる。

まさに私の「昭和」が戻って来た感じがする。昨秋、リーマンがあって時代が変わった。大量生産の大量消費という時代が終わった。私も改めて、会社に野菜やお米、旅行に行って来たからと言ってお土産を持ってくださるお客さまの大事さを、深さを、そして人間関係の原点を感じている。

側溝清掃が終わり、隣組のみなさんと、楽しいおしゃべりをして帰宅した。そして夕方右隣のお家のおじさんが、「実家(信州新町)へ行って、たらの芽採ったから、よかった食べて!」とわざわざ持って来てくださった。本当の意味での、ローカルコミュニティのあたたかさを知った。まさに「昭和」を改めて感じた日だった。

天ぷら・・・美味しかったなぁ、おじさん、ありがとう!ご馳走様でした・・・。

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