代表中澤の日々の徒然

POST: 2009.12.13

人・・・

昨日のブログを書き終えてから、その内容がしばらく頭に残っていたせいか、ある恩人を思い出した。

今から15年前になる。その頃一応・・現場監督というか監督っぽいことをしていた時代の話になる。あるお寺の工事をしていて、何とか紆余曲折の結果、最終段階であるタイル左官工事に差し掛かった。

当時、鴇沢さんという人柄も腕も素晴らしい職人さんがいた。通称「ときさん」は近所中の建築屋さんからも引っ張り凧の職人。ダイコクも勿論ときさんとの付き合いが古く、すべてのタイル左官工事はみんなときさんにお願いしていた。

話は戻るが、仕上げ段階に入り、ときさんに、そろそろ段取りついたので現場に入ってもらえないか打診したところ、僕からの連絡不足が原因で当分現場には入れないとのこと。ただでさえ、人気者のときさんは、忙しすぎるくらい忙しい職人。他の工事でいっぱいいっぱいになっていて、その場その場をこなして行くだけの僕には当然予約する程の余裕がなかった。

でも残された工期はあとわずか・・・。何回電話してときさんに断られる始末。でも大事なお寺の工事に、他の職人では少々心配・・・。そんな切羽詰まったある日の夕方、「明日の夕方からなら行けるけど、いいかや?」と、ときさんから一本の電話が入った!

あわてて材料を取り寄せてもらい、どうにかときさんが現場に入れる状態になった。翌日、ときさんが現場に到着したのは、午後6時ぐらいだったろうか、ヘトヘトに疲れていた様子に見えた。

「よし!やるぞ!」そう笑って元気そうに振舞ってくれながら、ときさんは黙々とタイルを張り始めた。それから仕事が完了したのは午前1時を回っていた。そんなときさんに、心から感謝し、嬉しくて、一緒に片付けを手伝いながら、僕は泣きっぱなしだった。

「おそくなっちまったな、ごめんな。じゃぁ!」 ときさんはいつも通りの表情でトラックに乗り帰宅した。僕は、そのときさんのトラックのテールランプが見えなくなるまで、何回も何回も頭を下げた。

何でもそうだけど、自分の気持ちをわかってくれた瞬間て、何だか嬉しくて泣けますよね。ときさんが、ひよっこのこんな僕の気持ちを理解していてくれていたと思うと、涙が止まらなかった。

もうそのときさんも今はいない。最期の最期まで引っ張り凧の職人だった。これが僕の現場で人のあたたかさを感じた、最初の出来事である。