代表中澤の日々の徒然

POST: 2010.10.19

過去に置いてきたもの

先日、国家試験のひとつである宅地建物取引主任者(宅建)の試験会場まで行ってきた。

はじめての経験だったが、試験のお手伝いをさせていただくことになり北信地区の会場である信州大学工学部まで足を運んだ。

私も平成4年・・だいぶ前の話になってしまうけど、宅建に合格した。当時バブルの終わりではあったが、以前として人気の高い資格であった。社会人一年目の僕は、眠い目をこすりながら「生まれてこのかた、こんなに勉強したことはなかったんじゃないか・・」ぐらい勉強した記憶がある(笑)。

それ以来、久々の試験会場に行ったわけだが、真剣な受験者の熱気を強く感じた。約70名ほど入る教室にびっしりと受験生が入ると、さすがに窓を開け風をいれないと暑くて居られない程であった。

 偶然試験が始まる前に、僕の友人が受験することを知った。彼は川中島地区で車屋さんを営んでいるのだが、果たして・・・どうして・・・この資格を受けるのか、僕にはその時不思議でならなかった。

しばらくして試験が終わり僕もお役御免となり、少ししてから彼に冷やかしがてら、携帯に電話をしてみた。

試験内容を聞くと、難しかったとのことで合否が危ういとのことだったが、本題のどうして宅建の受験をしたのか?との質問に彼は、「昔の忘れ物を取りに行っただけです・・・」と応えた。

普段は、こんな洒落た言葉を使うようなヤツではない!(笑)・・・のだが、深く聞いてみると・・・

今でこそ親の後継ぎで家業である車屋さんで働いているが、大学卒業後は大手の不動産会社に勤めたことがあったらしい。そこで必須条件である「宅建」を取得しなければならないはずだったが、彼は2度受験したものの、合格は出来なかったらしい。東京六大学を卒業している彼にとっては、決して難しくない試験だったにちがいないが、不合格だった。

それから間もなく、田舎の長野へ帰ることになり今の車屋さんに就職した。あれから永年たった今、まさしくその宅建という「忘れ物」を取りに来たとのことだった。

何も40歳過ぎてから、仕事と全然関係ない資格の勉強をすることはないのに・・・と思ったが、彼にとっては、本当に大きな大切な忘れ物だったにちがいない。

自分から逃げずに、自分に正直になって、自分の人生での忘れ物を取りに行くその姿勢に、僕は感動と共に尊敬の念まで抱いた。こうして彼を思うと、自分にも遣り残したものや、見て見ぬふりをして来たものはたくさんある。

あきらめたものはいっぱい存在する。

でも彼のように、拾いに行く勇気は持っていなかった。たかが宅建の試験ではあるが、彼の思いはそんな単なる国家資格ではない。

心から彼の合格を祈る。