代表中澤の日々の徒然

POST: 2024.01.24
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私の思い⑥ストーリー

ダイコクの前身、大国建設社屋

平成7年春、私はまずは親といっしょに暮らすために長野へ戻ってきました。

しばらくは一人旅をしたり、自分の時間をゆっくり過ごしながら、今後の進み方を探していました。

正直、何をしたいかもなく、やりたいことも見つからず、求人情報ものぞいたり・・・そんな毎日でした。

私が育った我が家は、隣に父の工務店が存在し、お施主様や社員さんや職人さんがいつも出入りしている場所でした。いつも誰かが出入りし、賑わい、大工さんの声や道具の音が響き、木の香りがする環境でした。

前職時代東京でマンション開発の仕事をしていて、思うことはたくさんありました。木の家は・・・やっぱりいいなと。職人みんなでワイワイしながらつくるあの現場の雰囲気っていいなと。

悩んだ末、その年の夏のある日、父と母に家(工務店)に入りたいことを相談します。

父はいいとも、ダメだとも言わず、少し時間が経過して自分の生い立ちをその場で私に語りはじめました。

母もいっしょに聞いていました。父の話は時間にして30分ぐらいでしょうか・・・

長いものでした。

田舎の小作農家の二男で生まれた父、高校へは行けず中学校を卒業して親のススメで大工の見習いへと進みます。

布団一組だけもって、師匠になる親方の家に住み込んだ日のことから話始めました。送って来てくれた両親を見送る際、その姿が見えなくなるまで手を振って寂しさをこらえたこと。大工の仕事より親方の家の世話からはじまったこと、厳しさの中で大工の仕事を覚えていったこと、独立する時のこと、母と出会ったこと、ゼロからはじまった母との工務店経営のこと、姉が生まれた日のこと、兄と僕が生まれた日のこと、そして最後に仕事のことを私に初めて語ってくれました。

父は元々大工さん、職人なので普段から口下手なのですが、自分の言葉で穏やかにゆっくり語ってくれました。

その間、私は一言もしゃべらず父のストーリーを夢中で聞いていたことを覚えています。

・・・帰ってきてよかった。

何の迷いもなくなった私は、次へのスタートラインにつくことになります。

≪つづく≫

創立55周年連載企画「私の思い」6/30