代表中澤の日々の徒然

POST: 2024.02.10
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私の思い⑯自邸

銀行の方にそこまで考えていただくほどの窮地。

どうしてそこまで協力していただけるのか尋ねると、私を融資の段階からずっと見てきてたので・・と話す。あまり多くを話す方ではなかったが「そんな家だったら・・・」とずっと思ってくれていたらしい。

本当にうれしかった。

ちょうど展示場を建て終わるタイミングで私の自邸もつくりはじめていました。普通に35年ローンも組みました。

私自身が住んで生活してみないことには、お客様には何も言えないし伝わらない。単なる設計デザインならそんなこともないが、知りたかったのはその住み心地だったからだ。それまでは川中島町今井のオリンピック選手村の分譲棟に住んでいました。

私の自邸 越屋根が付いたエアパス工法の家

今も住む完成当時の自邸。住み心地は想像以上だった、間取りとか温熱計画よりも、まずは木の香りが最高だった。シックハウスとは無縁だと思った。設計は弊社による自社設計だったが、以前より崇拝していた建築家を真似たもの。この頃から現在のダイコクに近いものが感じられるかと思います。

空調などの機械仕掛に頼らないパッシブな暮らしは正解でした。そして生活しながらと同時に、設計の改善点もたくさん見つかった。正ににここはスタディハウス、今も住みながら日々の経験を仕事に反映している。

例の銀行の方も喜んでくれていた。「社長の言ってる通りだった」と話してくれたことが今も頭に残っている。

これでいい、やっぱりこれしかない。自分の家でそう確信を持つことが出来ました。

住まいはシンプルに限る。日本家屋の技法や文化を大切にして、長く愛着を持って暮らせる設計がいい。

それにしてもこの家、ご近所や街並みに配慮がない愚作、若気の至りでした。こうした反省がダイコクの原点になっております。

≪つづく≫

創立55周年連載企画「私の思い」16/30